
2020年3月末時点で、「ラーメン二郎」の看板を出して営業しているラーメン店、いわゆる「ラーメン二郎直系店」は三田本店を含めて全国各地に39店舗あります(5月以降に千葉店 、大宮公園駅前店 がオープン予定)。
「ラーメン二郎」の看板を出すことを許された各店舗、いわゆるのれん分けをした店舗には連日行列が出来ており、特別な広告をしなくてもお客さんが集まります。

一方で、ラーメン二郎に影響を受け、似たようなラーメンを提供する、いわゆる「ラーメン二郎系」(旧ラーメン二郎)「インスパイア系」は全国に無数に存在します。

ここでは、「ラーメン二郎直系店」と「インスパイア系」の違いを見ていきましょう。
目次
「ラーメン二郎」の看板を勝手に出すことが許されない理由。
2003年に総帥こと三田本店の店主・山田拓美氏が「ラーメンを主とする飲食物の提供」として「ラーメン二郎」を商標登録しています。これにより、法的に他の「ラーメン二郎」と名乗る飲食物の販売を禁じられています。「ラーメン二郎」の看板を掲げて営業をするには商標を持つ総帥の認証が必要になります。
暖簾(のれん)とは?
暖簾(のれん)とは、会計用語で無形固定資産の一種で、商標権を指します。店の看板に営業中であることを示すために掲げた布が由来と言われており、「屋号」のような役割を果たしています。 ラーメン二郎で言うと、特徴的な黄色い看板を指すのでしょう。別の言葉で言うのであれば、「ブランド力」とでも言っておきますか。画数が多くて読んでいて疲れるので、以下ではひらがなで「のれん」と表記することにします。

のれん制度のメリット
ラーメン二郎直系店舗は、黄色い看板の「のれん」を掲げることにより、全国から客が殺到します。通常であれば多額の広告費を払い、大々的に宣伝をしなければ訪れないほどの客が、「のれん」を掲げた店舗に殺到します。
また、「FZ(エフゼット)醤油」と呼ばれる専用のタレを専用のルートで入手することができます。 この醤油の成分や入手ルートは企業秘密とされており、何人かの二郎愛好家や入手ルートを捜査されている方がその秘密を探ろうとしていますが、長年その秘密は守られたままです。まさに”秘伝のタレ”と言えるでしょう。

以上のような広告効果と購買ルートの確保が、のれん制度のメリットと言えます。
一方で、のれんの持ち主である三田本店からすると、目の前で修業をした弟子のみ「二郎」の看板を出して独立することを許すわけですから、高品質な多店舗経営が実現できます。
また、ラーメン二郎の場合は不明ですが、のれん分けを許された店は、本店にロイヤリティを払うケースが多くなっています。
のれん制度のデメリット
「ラーメン二郎」の看板を掲げて独立する以上、本店の商標の権利者(総帥)の認可が必要で、本店で修業をし、独立の許可を受ける必要があり、一定数の期間本店で修業をする必要があります。これはすぐにでも独立して店を出したいと思っているラーメン店経営者を目指す人には向いていないでしょう。
また、「ラーメン二郎」の看板を掲げることを許された以上、一度はのれんを掲げることを許されても、そののれんを下ろすことを命じられる可能性があります。
「ラーメン二郎」がこれほどまでに全国的に知名度を持ち、数多くの亜流店(インスパイア店)が出店しているにも関わらず、直系店が39店舗しかないのは、ラーメン二郎での修行の厳しさと二郎の看板を持ち続けることの難しさが伺えます。
のれん分けとフランチャイズ制の違い
のれん分けと似た事業制度として、フランチャイズ制が挙げられます。全国に展開するコンビニエンスストアやハンバーガーチェーン店などはこのフランチャイズ制をとっています。
フランチャイズとは日本語で設立認可だったり営業許可といった意味で訳されます。中央集権化された本部が加盟店のオーナーを募集し、加盟する個人や法人がオーナーとなり、低コストかつ短期間でお店を出すことができます。この加盟するオーナーは多くの場合、本部と関わりの薄い人間であり、のれん分け制度において親族や本店の従業員に独立して看板を出すことを認可するという点で異なります。
各加盟店のオーナーは本部が作成したマニュアルに従った営業をします。加盟店のオーナーは短期間かつ少ない初期投資で営業ノウハウを手に入れることができます。
一方で、デメリットとしては一定のロイヤリティを支払う義務が生じます。また、マニュアル化されているため、多くの店が個性を出すことが難しいと言われています。
二郎クエスト第一回「二郎はラーメンではない」は本当か?」で紹介した、規模型事業で勝負する業界は、このフランチャイズ制をとることがほとんどです。加盟店をどんどん増やしていき、薄利多売で勝負していくわけです。
(グラフ:のれん分けとフランチャイズのメリット・デメリット比較)

「二郎インスパイア」の存在
「二郎インスパイア」とは、二郎の看板を出す認可を受けていないが、二郎っぽいラーメンを出している店です。多くの店では「J系(Jiro系)」だとか「二郎風」だとかぼかした表現を使っていますが、二郎本店の認可はとっていません。悪い言い方をすると、いわゆる”パクリ店”のお店がほとんどです(実際には三田本店や各暖簾分け店舗での修行を経験しているが、二郎の看板を掲げずに独自のブランドを持つ、レベルの高いラーメン店も多く存在します)。
これらの二郎インスパイア店は、認可制ではないため、必ずしもラーメン二郎のような味ではありません。中には二郎ブランドにあやかりたいだけの模倣店も存在し、二郎インスパイアと一括りにできるものではないのかもしれません。
それでも、模倣したくなるぐらいラーメン二郎は美味いものであり、またブランド力の高いものなんですね。
のれんにまつわるトラブル
以上にのれんのメリット・デメリットを見ていきましたが、のれんにまつわるトラブルが過去に何件か起きています。
事例を見ていきましょう。
破門された店舗
「破門」というと共同体からの追放を意味して物騒な響きですが、かつてラーメン二郎を名乗っていた店舗の中には二郎の共同体を「破門」され、ラーメン二郎の看板を下ろすことを余儀なくされた店があります。実例をいくつか挙げます。
・ラーメンこじろう
⇒武蔵小杉に出店していたラーメン二郎。「ラーメン二郎直系店は店主が原則厨房に立っていなくてはならない」という暖簾分けをした時の条件を破ったため、ラーメン二郎の看板を外すよう指示された、という説が有力です。
・ラーメン生郎
⇒吉祥寺の成蹊大学前に出店していたラーメン二郎。「生郎」というのは成蹊大学の学生が看板の二郎の「二」の字に落書きして「生」になった、と言われている。破門になった理由は、店主が製麺機を売却してしまい、「自家製麺」を販売できなくなったから、という説が有力。
なお、これらの説は出自不明の噂レベルであり、「破門」という言葉も二郎ユーザーが面白がって勝手に読んでいるだけ、と思われます。
いずれにしても、かつてラーメン二郎の看板を出すことを許されたお店も看板を外すことを余儀なくされるケースがありました。
その他、赤羽店(現ラーメン富士丸、その後に出来た赤羽店とは別。)や堀切店、蒲田店(現ラーメン大)のようにラーメン二郎が商標登録されたのを機に別の店名にしたという事例もあります。
要するに、ラーメン二郎という看板は勝手に使いたくなるほど魅力的ということですね。今は商標登録がしっかりされているので、勝手にラーメン二郎の看板を使われる、という事例はほとんどないようです。
ただし、ラーメン二郎の看板を外した、或いは自主的に外したといっても決してそこのラーメンの品質が低いわけではない、ということを言い足しておきます。実際、ラーメン富士丸は連日開店前から大行列ができるほどの人気店で、味も唯一無二のものを持っています。
商標を巡ったトラブル
先に述べたように、のれんとは商標権です。ラーメン二郎の黄色い看板も、法律上はこの商標権を後ろ盾に効果を発揮します。
1968年頃都立大学で営業が始まったラーメン二郎は長らくのれん分けせず、総帥が営業を行っていました。
1995年の目黒店 の独立を皮切りに、のれん分けをする店舗が増えて事業が拡大していきます。(私の勝手な推測ですが、この事業拡大は山田総帥も当初想像していなかったのではないかと思っています)
総帥はその辺の権利関係にあまり頓着していなかったようで、あるラーメン店がその隙をついて?「ラーメン二郎」を商標登録しました。
総帥はその件についてもあまり意に介していなかったようですが、二郎を愛する慶応法曹界の人が動き、商標権を総帥のところに移動させたという逸話があります。
商標権はあくまで法律関係上の話ですので、二郎の味には何ら関係のないことですが、法律関係上の整備をしてくれて、安心して美味いラーメンを食べる環境を整えてくれた過去の偉人には敬意を表したいですね。
おわりに
ここまでラーメン二郎直系店舗の成り立ちや、のれん分けシステムについて紹介していきましょう。ラーメン二郎を楽しむにあたって、こういった背景情報も知っているとまた違った楽しみ方ができるんじゃないかと思います。
脚注
2020年4月16日更新
執筆者:yoshi-kky
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